劇団四季の「赤毛のアン」を見ました。もう数カ月前のことです。ミュージカルは大好きですが、なかなか観る時間がとれないので、出かけたときは、年甲斐もなく結構ワクワクしました。1つの舞台が観客の前に披露されるまでに、どれだけ多くの人が関わり、膨大な時間が費やされ、才能と努力と情熱・の総結集であるわけで・・・その陰にある様々な人生にまで思いを馳せれば、あっという間の3時間がとても大きな意味を持っていると感じます。
さて、赤毛のアンは誰もが知る不朽の名作で、そのストーリーよりも、観客を引き込んで止まない歌と踊りの高揚感でとても楽しかったのですが、今日はその中で使われた、心に残る珠玉のワンフレーズを紹介したいと思います。
孤児院で暮らす赤毛のアンが、子供がいない老姉弟に引き取られるところから話は始まります。老齢ゆえ、農作業がはかばかしく出来なくなったため、その担い手として男の子を望んだ二人の前に、どう間違ったか、女の子が来てしまう。役に立たない女の子など要らないと言い放つ姉との会話の中で、穏やかな老人(弟)は、こう言うのです。「この子はこちらが望むようなことは何もしてくれないかもしれないけれど、僕たちがこの子にしてあげることがあるかもしれない。それもいいじゃないか・・・」
俳優の素朴で静かな語りが心にしみました。
他人の面倒をみるゆとりなど無い、決して豊かではない生活の中、損得でものを考える現実的な妹(女)の思考回路に比べて、心やさしいお爺さんの精いっぱいの抵抗の言葉は、今でも深くわたしの胸にしまわれています。
結局、アンの明るさが姉弟の心に灯をともし、形ではない幸せの時間を与えられるという、ありきたりのお話ではありますが。
なにを隠そう、わたしも合理的現実的女の端くれで、うまくゆかない現実を誰かのせいにしてイライラしたり、ため息の連続
でも、誰かが何もしてくれなくても、出来なくても、わたしが何かをしてあげられるのなら、それもいいじゃないか・・・と、あのお爺さんが語りかける気がして、そろそろ還暦を迎える年齢にふさわしく豊かに微笑んでいたいものだと思うのです。