金華山
思えば、私の母校である金華小学校、伊奈波中学、岐阜高校の校歌には、すべて長良川と金華山が謳われていた。
幼い頃には、金華山の尾根伝いの山が自宅裏に接近していたせいで、山が恰好の遊び場であったが、山ではそれなりの礼節をわきまえていた。トイレ時には「山の神様ごめんなさい」と言って用を足した位だから。
マジシャンのミスターマリックは同じ町内で育ち、その裏山で修業していたそうだから、やはり魔力を備えた山だったに違いない,
(と思うのだが)、残念ながら凡人のわたしには何の効力も無かった。
やがて憂いを身につける年頃になると、学校帰りには、わざわざ橋の上に迂回し、金華山を見上げ、長良川を見つめ、涙を拭いた。「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」古文は好きではなかったが、口をついで出た。
美空ひばりの、川の流れに身をまかせ~風に納得し、金華山を眺めては、「風林火山」~動かぬもの山のごとし、と揺らぐ自分を、強くなれ、と叱咤激励したものだ。
東京の大学に通うようになると、当たり前のようにあった山川の光景が見えず、落ち着かない不安を重ねたのか、「やっぱり私は岐阜が好き」と卒業後はさっさと岐阜に戻った。
そして、歯科医としてオフィスの設計に関わると、5台の治療椅子のすべてを、山を臨める様に並べた。私なりの癒しの空間作りであった。階上の自宅も、壁面は全面窓で山に開放し、鳥の囀りや、山からの風が運ぶ緑の匂いに慣れ親しんで暮らしてきた。
どこに行っても、山城を戴いた金華山を目指せば、迷うことなく家に帰ることが出来る。木曽川を超えて金華山が見えてくると、あー帰ってきたな、と思う。時に、山ガール風に汗を流して岐阜城まで登れば、多くの野鳥やリスが間近で餌を啄ばむのだ。
そして今では、金華山と長良川を同時に眺める高層に部屋を得て、時々は年齢に相応しくゆるりとした時を過ごす事にした。
眼前の金華山は、これからもずっと変わらずそこにあり続ける事を想いながら。